(suijinnsann)
今年は 池守の役が当たっていて、 15日の8時より、大先輩である前の田中さんと水神さんを廻って、 昨年末に前の池守さんが付けられていた飾り(正月のしめ飾り)を外して廻った。 (大御所の先輩と、ずぶの素人がペアで廻ると言う事は、、昔からの風習を次世代に伝承していくという事でしょう。。。)
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この日は播磨中央公園で子供マラソン大会が開催予定だった様で、早い時間より駐車場は満車。
軽トラックを乗り入れて公園内を移動中に、沢山のチェックポイント??が設けられていました。(後1時間遅い時間に廻り始めていますと、多分ですが、、競技スタート後になり、廻れていなかったでしょう。。。)
【下新池】
こんな風に池を見守っておられます。
屋根が壊れてます。 神様の顔を拝ませてもらおうと中を覗きましたが見えませんでした。
水神様も、 人間の目には見えない様に忍法透明の術を自分に掛けて居られるのか?? 手を入れると何か感触は有るのですが、覗くと見えない。。そんな馬鹿な。。。。。
(夏場ですと、神様が蝮に姿を変えて居られて、手を入れると噛まれるかもです)。。
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2。 目も眩むような橋を渡って【中新池】の次の水神さんへ。。
インディージョーンズの世界です。。足を踏み外せば遥か彼方(1800mm)の谷底の溝に転落です。
【中新池の水神さん】
【大池の水神さん】
お供えのお皿 3枚の内の1枚をカラスか何者かが持ち運んでいて紛失していました。
【明治池】の水神さん 多分。ちょっと自信ない。。
【ヌタバ池】の水神さん 写真の順番から見ると多分。。
【深谷池】 下滝野霊園:お墓の下の駐車場に車を停めて直ぐの池
お皿が2つ消えていた。これもカラスの仕業でしょう。。
【金剛池】 詳しく判りませんが地区が県に売った池だが、水不足の時は県に依頼して水を使わせてもらう池ラシイ。。。
書いていて、こんがらがっていますが、記憶に残っているのは、下新池、中新池、大池、 ヌタバ池、深谷池、金剛池、。(明治池、ヌタバ池は正解なのか?入れ替わっているのか?自信ない。)
https://www.city.kato.lg.jp/material/files/group/49/mspsimotakino.pdf
次回は数週間後に、お酒、尾頭付きの魚、洗い米をお供えに回ります。。
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今でこそ農家は激減していますが、私が餓鬼の頃は加古川線の踏切より山側は大部分が田んぼで、 田植えの時期になると、周囲の大部分のお宅が、人海戦術で田植えをされ、 田んぼに入れる水を当番を決めて管理していたのであるが、、
お聞きしたお話ですと、、
これが大変で、当番の方が池守に「こちらの水路にが水が少ない。。もっと水を分けて欲しい」と交渉に行かれた様です。
また、台風、大雨等で池の堰が切れそうになると、 家の畳を池に運んでロープで縛り、池の切れそうになった個所に次から次へと畳を沈めていき、沈んだ畳(昔の畳はオールイ草で出来ており、水を吸って重くなる)が水を吸って池の補強材となり、決壊を防いだそうです。。(お聞きした話)
(車に化けたのか??家に化けたのか??は知りませんが、、)今では大部分の農家が田んぼを手放され、 現在ではごく一部の農家のみの風習になりつつあります。。
残って居られる農家の半数近くが賃貸のオーナーをされており、村に沢山のお金を落として居られる方が多い様です。
(私が餓鬼の頃は、田植え、稲刈りの時期になりますと、 リヤカーで苗を運んだり、収穫した稲を稲木干ししたり、 リヤカーで運んだ発動機と脱穀機で脱穀し, 積み上げた藁の山の中で遊んだりと、、昔の農村であった様なノンビリした風景が広がっていました。
タイのローズガーデンを訪れた方なら、タイの農村の暮らし風なショーを鑑賞されたと思いますが、自分らの田舎の農繫期がまさにこのショーの様な暮らしでした。。)
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水神様の正月飾りを取り外して廻るのが終えると稲作農業の1年がスタートします。
今年は福男、おいら岬の灯台守と並んで、、池守男でスタートです。。
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午後より温泉
ファミマ亀岡宮前町店のトラック駐車場の車止めに座って大福餅。
普通車の方は満車でしたが、トラック用の駐車場ですと, 日曜日の為か、空いていました。
温泉代1000円で確りと暖まって身体をほぐして帰りました。
曇り空ですが、暖かい一日でした。