餓鬼の頃に駄菓子屋で 【引きモン】なる駄菓子の買い方があり、1回10円を払って、沢山並んだ 引き紐 の中からどれか1本を選んで、手前に引き寄せると、紐に繋がれた お菓子が、手前に出てくる。
運が良ければ 大きな箱に入ったチョコレート が紐に引かれて 手前に出張ってくるから、鼻高々でチョコの箱を受け取って、 遥々自転車を漕いで同行した友達達に自慢する。。
運が悪ければ、チョイ大き目の ボール飴(チョコ ですと チョコボール と言うところですが、飴ですと、飴ボールとは言わないでしょう。。)が出て来て、
「あ~あっ、スカか・・・」 と言いつつ、口に放り込んで ほっぺたを 膨らませて、人工甘味料満載の(今の時代の基準ですと、あまり体に宜しくなさそうな)ボール飴を 時間を掛けて溶かしていく。。
・
水曜日は、この体にあまり宜しくなさそうな ボール飴を引いた日に当たるのです。。
例えが変なのですが、 朝自宅で8時前に BS7の モーサテも終わり、コーヒーを一杯追加で飲んでから、車で店に移動し、段取り、落ち着いたころにテレビをつける。
(最近はパソコンで youtube のスタバBGMをかけるのですが、偶にはテレビをつける)
【地上放送の民放 は テレビ大阪以外一切見ない】し、BSも 7chと BS1 を見る位で、 暇な時に BS3 をかけるのですが、、、今日はテレビの画面が映ると、
「あ~あっ、 そうか、、今日は水曜日か、、外れの日か、、。」
画面には、 【英雄たちの選択】 なる番組が映っており、 アナウンサーの司会の女性は何とも思わないのですが、 もう一人の 男性の司会が 終始にやけた感じで喋るので、 調子狂ってしまい(昔の人が何を思っていたかを勝手に想像する様な暇な番組に興味はない)、
BS1 は北京冬季オリンピックの番組ばかりですし、オリンピックもお腹いっぱい状態で、聞き流す分にはいいのですが、、、。
速攻でテレビの電源を切るのです。
・
北京か。。。
昔に掲示板に書き込んでいたものを別の場所に保管していた記憶。
長い文章なのですが、アップ。 ①②③④は当時、何日かに分けて投稿していたので、一応①②③④と印をつけました。
・
【【 2007年のメモです 】】 暇なメモをしていたものです。。。西脇の秋祭りの頃です。 文字から見て、当時は携帯で書き込んでいた様です。
__________________________________________
① 大陸の夜は寒かった。
月火と今日水曜日までは本部から貰った賞金にプラスして超短期間でのリフレッシュで北京に行った。
日曜の夜は(家族旅行ではなく)久々に独身貴族で旅行できる嬉しさの余り、10時には床に着いたが、1時頃まで眠れず、
オマケに4時過ぎには目が覚めてしまい、風呂に入り食事をして5時41分に自宅を出た
ディパック一つで行く積もりでいたが、嫁に「人一倍よく着替えるし、朝夕は冷え込むと思うから、着替えを沢山持って行ったら?」と言われて、
(夏のカンボジア旅行で新調した)
新しい大型のトランクに、アルマーニやバーバリーのジャケットやズボン3枚・ポロシャツ2枚・Tシャツ3枚に下着類・変圧器・プラグアダプター・その他諸々をてんこ盛りでトランクに積め込んだ
眠い・・・。しかし一人旅の気楽さか?離陸後、機内食を食べる際の飲み物にミニボトルのワインを3本空にした。
行き帰り共にチェックインカウンターで「窓側と通路側のどちらの席をお取りしましょうか?」「右の窓側をお願いします」ってな訳で、
一人旅なので子供に遠慮せずに2+3+2の横一列の右側窓側の席で、隣の席は空いていたから、ビジネスクラスより広い席での移動となった
(夏のベトナム・関空便もベトナム航空とJALのコードシェア便 だった。チェックインカウンターでパスポートのナンバーで利用頻度(旅行での利用じゃたかが知れてるか?)が判るのか?
反れとも(馬子にも衣装で)普段の仕事のさんこな服装と正反対で、おニューの黒のパンツに白のバーバリーの長袖、カンサイの茶色の靴を履いて、
自分でも控え目でセンス良く極っていたからか?(スッチーさんの俺を見る目も熱かった←考え過ぎか?)
ウトウトしていると、ビジネスクラスの直ぐ後ろの席で翼より前で、釜山?よりソウル上空は街並みが良く見え、またウトウトする。そうこうしているうちに、北京に着いた。
・
② (寝てしまっていた)中国語に慣れようと、航空券を確保してからは、寝る時には昔のラジオRF-1180で中国・北京国際放送
(ラジオのチューナーでAMで朝日放送の少し近く)を聞いていたが甘かった。
話戻って、入国も済ませてから悩んだ(トランクを引き摺っての移動は民航リムジンバスと地下鉄を降りてからは辛い。市バスは経路が解らない。しかもタクシーはなかなか拾えない)、
本をめくって時間を掛けて、言いたい事は言っても、中国語は全然聞き取れない。たまたま隣で煙草を吸っている人が日本から出張で来た人で、
「僕も出張で何度も来ていますが、未だバスで市内に行った事は無いですよ。何処のホテル?えっ。僕も同じホテルだから、一緒にタクシーに乗りましょう」 (新北緯飯店だったと思います)
ってな訳で、取り敢えずホテルにチェックインし、身軽になり、天安門広場・故宮博物院を観た。
(故宮は恐ろしく広く、100元のデポジットを預けて日本語のワイヤレスレシーバーを着けて(各場所を通過すると、自動で場所毎にガイドをしてくれる)
地下鉄の王府井(向こうの人だとワンプーチンと読む)駅を出て華やかな街に出ると18時30分を過ぎており、
手前の小●街(●読み方が解らない・口辺に何とか冠に乙の字)、気分的には《コジキ街》?の怪しい屋台で腹ごしらえをした
青島ビールを2本呑み、担々麺を食った迄は良かった。少し離れたオッサンが食べている焼肉の様にも見えるモノが旨そうに見えて、指を指して注文
実際、目の前に来ると軽はずみに注文した事を後悔した
どう見ても特大のヒトデの指の部分をを輪切りに、油と薬味で炒めたモノの様にも見える。
噛んで見ると柔らかくもなく、固くもない、それでいて一部がコリッとしている
表面は全体にブツブツがある。てんこ盛りで出て来たソレを全然食べずに席を立つのは悪いと思い、半分は食べようと決断!
脳内で無理やり良い様に解釈し、実は此は茸の炒め物で、大変美味しく珍しい物だと、無理矢理に錯覚。
もう一本ビールを注文して、コイツをあまり噛まずに食べては、一口ビールを呑む、また食べてはビールを呑む。しかし段々気分が悪くなってきた。
俺は店員に、両手で茸の絵を描き、茸のだな!と聴いた。店員は自分の腹を指差した
(オェー。 ホルモンか何か知らんが、限界になり、腹を擦りながら 満腹のゼスチャーをし、屋台の席を立った
結局買い物や探索徘徊をしてホテルに帰ると、22時を過ぎていた。
・
③
早朝出発し、8時過ぎの列車で北京駅より列車で11番目の八達嶺駅まで片道4.5元で辿り着けば何とかなると考えていた自信が無くなった
旅遊バスの乗り場は確認したが、言葉で自信喪失した
この調子だとマジで明日の万里の長城行きが危うくなる(万里の長城だけの為に来たに他ならないのに・・・)
(試しにネットで何社か調べていた)便利だか、高いので(車チャーターとガイドで、1200~1500元)最後まで使う積もりは無かったグランドスラムさんの24時間受付の携帯に電話を入れた。日本語受付で
「急な申し込みなんですが、明日万里の長城に行きたいのですが、車チャーターとガイドさんも頼みたいのですが、今からラクですか?」
「車は何とか成りますが、ガイドが厳しいですねー。取り敢えず当たってみます。30分位かかると思いますが」
結局、翌朝8時に運転手付きのヒュンダイの高級車と、20代後半の芸能界の人かと見間違う程のスタイリッシュでキュートなガイドさんが、ホテルのロビーに迎えに来てくれた
やはりお金は、一生懸命働いて、必要な事に使うからこそ価値があると実感した
眠い。
・
④ ホテルを直ぐに立ち、高度成長で車の数が激増して渋滞する市内を抜けて高速道路を爆走・黒塗りの高級車は他の車を蹴散らす様に走った
ガイドさんが「何時もはマイクロバス等の8~10人の団体さんのガイドをしているから、駐車場で待っています。
でも、今日はお客さん一人のガイドだから、一緒に長城に登ります」なんて言ってくれた
(こんな可愛いガイドさんと二人で長城に登れるなら、大歓迎だ!!!)雲の上を歩くかの如く、軽い足取りで長城を歩いた
長城
長城のスケールに感無量だった。長城から車に戻り、食事(たった80元で食べきれないご馳走が次々に運ばれてきた)
食事後に陶磁器の工場を見学。
直営店のチーフが執拗に勧めたが、通訳のガイドさんに「欲しい物なら、高くても買うが、欲しくない物は安くても買わない」と言ってくれと言い、
しかしガイドさんもリベートを貰って生活の足しにしているだろうから、何か買ってあげようと思い、一番高いシルクのスカーフを気持ちだけ値切って購入した
(金は天下の回りモノ!以前いた系列のセールスに捕られていた捨て金に比べれば安いもんだ。うちの店も多くのお客様の、好意で支えて貰っている!)
明十三陵も周り4時過ぎに車はホテルの玄関に横付けされた。ガイド料と、車チャーター料金を払って、車は帰って行った
俺とガイドさんはタクシーを拾い少林拳ミュージカルの開催される劇場を目指した(実は昼食後にガイドさんが、
「4時頃にホテルに到着予定デスガ、折角、中国にいらしたんデスカラ、京劇か少林拳ミュージカルか中国雑技を観て帰られたらいかがデスカ?
ガイド料は要らないデス。」なんて言われたから、「お薦めは何れ?」「京劇はチョットムズカシイデス。雑技は余り面白くナイデス。
少林拳ミュージカルに行キマショウ!」ってな訳だ!!!!!)
俺には全く関係ない話なんですが、嬉しがりの人なら《おい!どうだ?羨ましいだろ!》状態じゃないだろうか?
ミュージカルも満喫し、国慶節をずらして広州から出て来たガイドさんのお母さんと友達も合流・楽しい時間を過ごした
ガイドさんの友達が運転する車でホテルまで送って貰った
「もし、何か困った事があれば、此処に連絡してクダサイ」と携帯の番号のメモも渡された
お礼をしたいが、お礼は要らないと言う
ホテルで車を降りる間際に、シェーシェーと言いながら半ば強引にお礼を渡して、車を後にした
・
夜中に腹が空いたので、その辺の飯屋?・と言ってもシュウマイと肉まん?と飲み物しかない店で、
青島ビールと蒸籠一段のシュウマイと蒸籠に一段の肉まんを食べたが、此だけ食べても9元だ(9×17円で153円)。
何故こんなに安く作れるのか???
深く考えると喉を通らなくなりそうで、何も考えずに食べた
しかし恐ろしく安い。
翌朝はまだ薄暗い時間より、木枯らし門次郎の様に早足で天壇公園まで歩き、途中「早食?》か何とか書いてある店で朝食摂った
天壇公園
朝の太極拳
恐ろしく広い公園内をゆっくり観て、太極拳をしている人を眺めたりして、
一切の仕事の事を忘れた至福の時間はユックれた。
時計を見ると10時も過ぎていたから、大通りに出ると来た道と違う場所に出てしまった
オマケに偽物であろう北京五輪のマスコットの小さいのを詰め合わせた物売りが、まとわりついてくる
最初は80元と言っていたものが、最後は10元にまで下がる・・・
焦る・・・飛行機は13時55分の便だから、国際線は二時間前の11時55分には空港に行かないといけない
ホテルからタクシーで40分~1時間を充てないといけない
地図を見せて、道を聞いても、言葉が解らない、
タクシーは掴まらない。一辺が恐ろしく長い公園の一辺を歩けば済むはずなのに、結局一回りした。何とかタクシーを掴まえてホテルに帰り、汗を流して、服を着替えて 北京首都空港にタクを飛ばした
・
出国手続きも済ませて、最後の中華を摂りながら、一昨日・昨日からの事を思い出した
余りにも短く、しかも駆け足でリフレッシュ休暇は過ぎていった
あと一日か二日有ればもっとユックリ出来たのに・・・
三時間の搭乗で来れるなんて、東京のオッサンが、新幹線で大阪新世界のディープな街に遊びに来る様なもんか?
三時間で来れる隠れ家が出来た様なもんだから、オリンピックを外して来年もまた来よう・・・
免税店でお土産を買い、スッチーさんの「皆さまお帰りなさいませ」の声に迎えられて、北京首都空港を離れた
しかし平日に小綺麗な服装で国際線に搭乗しているってのは、同じ時間にバスや電車に乗るのとは気分が違う
何かアップグレードした気分だ
滑空する機体の窓から見えるのは、真っ白い厚い雲と真っ青い空だけで・・・
ヘッドフォンから聞こえるのはクラッシックやジャズと書きたい所なんですが、実際はお笑い寄席なんて聴いていたりして、、
しかし沢山のツキと福を貰って帰った
定刻の日本時間の17時40分に関空到着
入国を済ませて、18時10分にデリバリーパーキングさんから車を受け取り、空いている所は140キロで巡航したから、7時40分に自宅に到着
翌日に店に行くといきなり、現実の世界に引き摺り戻された。
__________________________________________
8月にアンコールワットの石の壁にぶつかって、三洋のデジカメが壊れたので、 急遽、10月の息抜きの為に買った一番安価なデジカメ(三電池2本で作動するもの)ですので、画質悪いです。 当時はキャンペーンでブイブイいわせていた頃でしたので、キャンペーンの賞金で旅行させてもらいました。
古い掲示板に書き込んでいたものを別の場所に保管し、その文章をそのままコピーしたものですので、誤字多いと思います。 北京冬季五輪から何故か、北京の息抜きを懐かしく思った。。