緊急事態宣言下2021

朝の10時にお勤めを終えた和尚さんが帰られました。 

次週は 和尚さんと、自分達も黒服を着て、お墓に参るので、 お墓の掃除に出掛けました。 凍える空気の中では作業が捗らないので、 昼食を終えた12時半頃に出ました。 

前回より(多分、2020 年 9月 21 日のブログに 9 月20日にお墓参りしました。 と書いているのが、最後なら) 4か月ぶり位です。

手が悴むので、 ポリタンク にお湯を入れ、タワシ とかの掃除用具一式、 一輪車 とかも持ち込んでの大掃除でした。

(お隣のお墓は後ろの土葬の部分にも石を敷き詰められていました。 うちのお墓も後ろの昔の土葬部分は土のままですので、ここに 【ぺんぺん草】 が 元気します) 

凡人的思考

24日の日曜日、 朝の9時より和尚さんが来られて 五七日の法要を行いました。

  和尚さんが帰られたのが10時頃だったと思います。

  さーっ、車でも洗うか! と思ったのですが、、、 こんな日に車を洗って長靴の中に水が入り、 最初は大した事は無いと気にせずに洗車をしていて、 足元より段々と冷えていき、 腹をこわす(下痢)わけにはいきません。。 何故なら、、

今日(24日)は、13時より、告別式に参加するからです。

  お腹が通ると大変です。

 午前中は こたつ の守りをし、早めの昼ご飯を食べて12時前に 西脇市の やすらぎ苑に向って出発しました。

  告別式は 妹の嫁ぎ先のお義母様の告別式でした。

告別式が13時なので、各自自宅で昼ご飯を食べ来られるのだろう、、と思い、昼間から家で オージービーフを食べてきたのですが、、。

  まさか、お昼ご飯を用意して頂いているとは思っていませんでした。  恐縮です。。(お弁当は 自宅に持ち帰って、 夜に美味しくいただきました。)

「 家族葬 」 と言っても、 うちの母親の様に一人娘ではなく、 8人兄弟?と、兄弟が多い方なのと、 相方のお義父様も7人? 位の兄弟らしく、  母方直系の親戚の方々、 父方直系の親戚の方々、 と結構な数の方が来られていました。 

  (見ていて兄弟が多いというのは良い物だと思いました)

 しかも、 世代交代されていて、 誰が誰だかは判らないのですが、 唯一自分ら夫婦だけが、 直系以外の者の様です。

 嫁と、 

「前の席は、妹の主人、妹、 その後ろは、長男、長男嫁、長男子供、 次男、三男は判るが、、」

「 左前の人は 〇〇のお姉さん夫婦 。  その隣は̻▢▢のお姉さん夫婦。」

 「 その後ろの人は〇〇のお姉さん夫婦の娘さん夫婦とそのお孫さん 」  「 その隣は〇〇のお姉さん夫婦の娘さん、その隣も〇〇のお姉さん夫婦の息子さん 」 

その後ろは▢▢のお姉さん夫婦の娘さん夫婦とお孫さん。

 「 あそこに座られている人は多分、お義母様方の親戚の △△の本家の若い人 」

「へー。。ほなら、あそこに座られている人は??」

「多分、同じくお義母様方の親戚で、 △△の新宅で、よく野菜を貰っていた ▽▽の叔父さんところの若い人じゃないのか。。 それと、、多分、あの人もそうだろう、、」

「じゃーこっちの男の人は、多分、昔に家に行った事がある ◎◎の若い人だし、 その隣の人も同じ系列の人だろう・・・、それとあそこに掛けている人も同じ系列やろな。。」

  なんて、 凡人には 来られている人が誰なのか大変気になります

     式が始まって、和尚さんが入場。

ほーっ、、和尚さんが5人も来られている。。凄い家柄のお宅なのでこれが普通なのか?  凄い。。。

最後にお別れの花をお棺に入れた際に、 故人も幸せそうな柔らかい顔で眠って居られました。

和尚さんが 5人も 並んで居られて、 ボーカル、 シンバル、鐘、 太鼓、、と、 各自持ち場が有る様です。。 モンゴルの音楽 ホーミーの 演奏部隊の様相でした。

    

関係ないけど、こんな感じで凄く声が通る和尚さんでした。

お通夜:告別式

親孝行を一度もしないまま、母親を送った。

自営業で、 若い頃より、何十年に渡って 親とは、自宅でも、仕事場の店でも 毎日顔を合わせているのだから、嫌になることも多かった。

22日の夜に早く寝ていたのですが、日付が変わった1時頃 に携帯が執拗に鳴った。

余りにも執こいので、何故か電話に出てしまった。。 電話の主は親父で、

「 今、お婆さん(母親)が死んだ。 お前、チョット来れるか? 」

(動脈に点滴を繋いでもらっていましたが、「 栄養を送っても、吸収することが出来ず、 水分のみを送っています 」 との事だったので、 長くは無いとは思っていましたので、 その時が来たか? と思ったくらいです。)

「 明日は朝一で多可町のテレビ故障のお宅に行く約束になっている。。明日中に済ませないといけないエアコンの工事もある。  細々した用事が沢山入っているから、今スグには行けない。。」

(行ったところで、 どうせ自分の決めたい様に勝手にするんだろうから、行っても仕方がないのです。。 自分の知らないうちに大方の 筋書きが出来ている。。行っても仕方ない。。 ) 

 そう言ったものの、 寝つきは悪かったです。 電話を掛けてきても結果は判っているのに、何故、電話を掛けてきたのか?、、、。そう思い、掛けてきた意図を考えると、電話に出てしまった自分に対して無性に腹が立ち、悔しくて寝付けない。。。 

 このまま寝られないと翌日の仕事に差し障るので、 ユーチューブでの、 スターバックス ミュージックプレイリストの ライブ配信 をボリュームを絞って、枕元で鳴らして寝ました。(結構寝られた、、)。

翌朝、渡り廊下を渡って離れに入り、親父がいる部屋に行こうと、廊下を歩いていると。 何故か普段は使わない部屋に明かりが灯っている。。

 障子を少し開けて中を見ると、 母親の遺体が布団を掛けて寝かせてありました。

。 

 笑われるかも知れませんが、 高く盛った布団を見て、 チョット怖かった。。さすがに部屋の中へは入れませんでした。。

親父に話を聞くと、夕べ(夜中の3時頃)に 西脇のみどり花園様 に運んでもらったらしいです。(これを聞いて、葬儀関係の仕事の人は、 夜中でも呼び出されて行かなければならないので、本当に大変な仕事だと思いました。 大変感謝しました。)

今日は23日だが、 24は クリスマス関連で一番忙しい時期なので、 スイーツ関係の仕事をしている次女、三女が休めない。 未だ、子供達には伝えないでおいて、日程が決まってから伝えようか。。。

 25日以降になれば助かるのだが、、と親父に伝えていると、  親父が店に出て来て、「 お通夜は 26日。 告別式は27日 で式場を取ってもらえた 」 との事でした。

( 長女、三女は 休暇を取らなくても済み、次女も 一日だけ休暇を取れば済みます。)

この間、毎日、 朝の7時台の寒い時間に、 ドライアイスを取り換えに来ていただいたり、出棺前には丁寧に説明しつつ、 遺体に 白装束を着せて頂いたり、 仏壇の前を飾りに来て頂いたりと、 西脇から加東市迄は距離もあるのに、 日に何度も来ていただいて、それを数日間続けて頂き、 大変お世話になりました。

こうして、26日、 27日で、 お通夜、 告別式 、初七日 を済ませる事が出来ました。  

自分としては、 近所にも内々で葬儀を済ませば良いと思っていたのですが、

 「うちの自宅に、 葬儀社様の車、 葬儀場の車が 出入りしているのを近所の人に見られているので、  他のお宅より問い合わせがあった際に、 村の組長の方が何も知らなかった。 では 済まないだろうから、一応連絡だけしろ!」

と親父が執拗に言うので、「何でやねん??」と、思ったのですが、嫁が伝えに行っていました。

(自分が判断しても、後から勝手に変えてしまわれるなら、言うと通りにしてやれやい、、てな感じになってしまいます)

「組としては 何をさせてもらったら良いんでしょうか?」 

と、言いつつ、村の役の方や、組長が来られたので、何か来てもらうのを催促した様な形になってしまった。。

  肝心の

「連絡だけしろ」

 と、言った本人はもう寝ています。。。 まあね、、いつもこんな感じなんですよ。。

 「何もしてもらわなくていいです。 家族だけで コソット しますので。。」 

と、伝えておきました (今日日〔きょうび〕は家族葬ばかりになりました。 同じ組の近所の方も亡くなられていたのですが、 家族葬をされたので、 市の広報を見て初めて知った位でした)。

 自宅の隣近所で、 昔から一緒に組内で住んで居られる方々が、 香典をお持ちいただいたのですが、 家族葬で、 香典も頂かない。。って事でとお伝えしました。 

「 まーっ、、香典も取ってくれてないのん?」

 と言われたのですが、 相方の親父が言っている事なので、、丁重に辞退させて頂きました。

ちょっとムカついた話。

お通夜に 葬儀場に行くのですが、親父が、

 「やすらぎ苑の遺体を運ぶ マイクロバスに 誰か付き添いで乗らなあなあかんねんけど (乗らなければならないのだか)、  ワシ は何か用事が出来た時の為に、車を運転していかなあかん(行かないといかない)から、 お前、喪主なんやから、お婆さんの遺体の車に 乗って行け!」

   と、言うので、お通夜の夜に何の用事ができるのか?と思いつつ、 そういうものかと思っていたのですが、 何か腑に落ちない。。

 以前に、この葬儀場にアルバイトで掃除に行っておられたお客様宅に行き、話を聞くと、

「 えっ? 何で? 誰も乗らなくても、後を付いて走ればいいし、 何故あんたが乗るの? お爺さんが伴侶やろ?? 」

の話をきいたので、親父に伝えて、渋る親父に乗ってもらう事にしました。(別に誰も乗らなくても済むのですが、、。)

兎に角、自分の家で 葬式があったのは、自分が小学校を卒業した春以来ですので、 全く段取りが判りません。 

 他所の お通夜、告別式に 出るのとは 違います。。  未知の世界でした。

「 親孝行らしい事は何も出来なかった」

     と、お客様に話していると、

「 地元に帰って電気屋を継いだのが 親孝行。 しかも 同居してやってるやないか!」

と言われました。。 

そう言われると解釈の仕方も変わってきます。。 毎日、日にち 親孝行をしている若い夫婦(もう若くはないのですが、、)って話になっていきます。  感謝の言葉なんて聞いた事ないですが、、。

普段から一緒に居てくれている人には、「 当たり前だ 」 と思い、 偶に出て来てくれる人には、「 おー、、よく来てくれた 」と 感謝する。。

今の若い人なら誰も、別居されているのですが、 当時は【殊勝に】 同居している人も少なからず居ました。

自分らもそうです。  嫁には感謝しています。。

       お客様の言葉で、チョット報われました。

   長い 2日間でした。

加東市で お通夜、告別式を行えば、近かったのですが、 西脇市のやすらぎ苑でしました。

西脇市民ではないので、料金は倍額要りましたが、 告別式後に 火葬場に移動する時間が必要なく、 その間に食事を済ませる事も出来、 便利で早めの時間に済みました。   同じ日に光明寺に 上がり、お寺で 初七日を 済ませる事も出来、16時には 自宅に帰ってから、 次女、三女を 加古川駅まで 送る事も出来た。。

もしかしたらが来た。。

明日は臨時休業させて頂きますが、

     28日 より 普通に営業しています。

そして、仏壇、仏壇の下の戸棚に入っている仏壇用のお茶碗、仏具を一切合切取り出して、磨いておきました。

      もしもの時の為に、、。

 うちの母親が 長らく体調が悪かったのです。。

  母親は 平成26年の2月頃(アトムでお客様と行く(バス2台を出して、九十数名で行った)クエ鍋ツアーでホテルムサシに日帰りで行った頃だったと覚えています)に離れの廊下でワックス掛けをしていて、 本人は椅子に座る積りで、廊下にドスンと尻もちをつき、 骨折。

 この時に入院させておけばよかったのですが、、  我儘 な本人が頑なに入院を拒むものですから、 自宅療養をしましたが(←出来る訳が無い)、 自宅に居ると甘えが出て、 リハビリ等を一切しませんので、やがて筋肉が衰えて歩くのが不自由になりました。 

 この頃から以降の家の中の状況 を天候に例えると、 常に雨雲が掛かった状態。

自分は同じ家に住んでいるのですが、 母屋と離れで 棟も違い、況して普段は店に出勤して帰るのは夜ですので、長らく顔を見ない事もありました。

 お客様「 お母さんどないしとってのん?」

 自分 「 さー、、もう7か月位は顔を見ていないですね。。」

 お客様「 まー。 一緒に住んどってんやったら、偶には顔を見せてあげよ。。」

      何て 良く言われていましたが、、

(同居していると、互いに嫌なことが多いです。。 今の若い人なら、我慢できないでしょう。。)

   

  

 平成29年の11月に 右大腿骨骨折で 西脇病院に入院:手術を受け、リハビリを受けるべしで大山病院に入院しましたが、

(この時は喜びました。 いくら何でも、今回ばかりは入院しないと済まないだろうから、 病院で我慢してリハビリし、 今よりも歩ける様になって帰ってくるであろう、、と)、

  平成30年2月に退院。( 食事が美味しくないとか、 リハビリをしないとか言うらしく、 これ以上、居てもらっても良くなりませんわ。。 で退場、←間違い 退院。

平成30年2月 より、社病院の隣にあるケアホーム加東にリハビリに通い始めましたが、((リハビリに通う様に親父と妹が説得すると、  「 私を姥捨て山に捨てるのか?」と)激しくゴネましたが、説得して通う様にしました。

ただ、、他の人と一緒に送迎の車に乗って 通うのが 嫌らしく、 他の人とも居れないらしく、 うちの親父が 朝に送って、1時間待ってリハビリ終了後に 再度、親父が車に乗せて連れ帰る訳ですから、リハビリに通う意味もないです。。 

  本人に 「何としても歩けるようになって周りに我儘を言わない」 と言う気があるのか? 無いのか? は判らないのですが、 歩ける様になりませんでした。

本年:令和2年 2月に ご飯を食べないので、栄養が身体に行き渡らずで、、西脇病院に入院。 3月9日に社病院に入院。

6月~7月の間、自宅に帰りたいとの事で自宅に帰る。(歩けない人が自宅に帰ってくると、家族ではみられません。。 本当に大変です。自分は見ていませんが、、)。

 介護の人に 一日に4回来てもらって、 下の世話とかもしてもらっていました。

7月17日に再度、社病院に入院。 8月6日に 土井病院に入院しました。本人も結構気に入って入院していました。 

母親が 親父に「 今度来た時は、 骨になっとるかも知れへんで」「あほ!病院が骨にしてくれるかい」 何て言っていた様です。。

我儘な母親をみていただいた土井病院には感謝です。

今年に病院に入院する人は、 こコロナウイルスの影響もあり、 面会とかは限られますし、全く面会とか出来ない人も居られます。 これで痴呆が入ってきます

  実はこの夏頃には、母親が危ないと仮定して、 裏の納屋に放置していた 中古のエアコンを仏壇の間に取り付けはしていたのですが、、夏は過ぎ、秋も過ぎ、冬になりました。

 。 年末になり、忙しい日が続いたので、 もし今日死なれたら 工事が溜ってしまう。。。とか思いつつ、日々を過ごしたのですが、、。

 

  その時が来てしまった。。

   猫を飼っているので、 動物の ねこ は何匹も送ったのですが、人間の ねこ 間違い、 親を送るのは初めてです。。 

平成26年の 同じ頃に 玄関マットの上で滑って、 尻もちをつき、骨折された 普段は一人暮らしのお客様(母親と同年代の女性)なんかは、すぐに大山病院に入院され、リハビリをきちんとされたので、今はぴんぴんして、暮らして居られるので、 26年に尻もちをついた時に、ごねる母親を 無理やりにでも入院させなかったのか(誰が猫の首に鈴を付けるのか)と後悔です。

コロナウイルス感染拡大下ですので、 と、 言うよりも、、 今日日は 家族だけでコッソリとお葬式を済ませるのが普通になりましたね。。(お互いに貸し借りを作らない)。  

   自分はもっと、甘く考えていたので、 お通夜が夜なら、 夕方まで店に居て、その足で 葬儀場に行けば良いか??  何て思っていたのですが、 朝から家に居て準備をしろ!と、親父が言うので、年末ですが、土曜日は臨時休業致します。。