親孝行を一度もしないまま、母親を送った。
自営業で、 若い頃より、何十年に渡って 親とは、自宅でも、仕事場の店でも 毎日顔を合わせているのだから、嫌になることも多かった。
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22日の夜に早く寝ていたのですが、日付が変わった1時頃 に携帯が執拗に鳴った。
余りにも執こいので、何故か電話に出てしまった。。 電話の主は親父で、
「 今、お婆さん(母親)が死んだ。 お前、チョット来れるか? 」
(動脈に点滴を繋いでもらっていましたが、「 栄養を送っても、吸収することが出来ず、 水分のみを送っています 」 との事だったので、 長くは無いとは思っていましたので、 その時が来たか? と思ったくらいです。)
「 明日は朝一で多可町のテレビ故障のお宅に行く約束になっている。。明日中に済ませないといけないエアコンの工事もある。 細々した用事が沢山入っているから、今スグには行けない。。」
(行ったところで、 どうせ自分の決めたい様に勝手にするんだろうから、行っても仕方がないのです。。 自分の知らないうちに大方の 筋書きが出来ている。。行っても仕方ない。。 )
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そう言ったものの、 寝つきは悪かったです。 電話を掛けてきても結果は判っているのに、何故、電話を掛けてきたのか?、、、。そう思い、掛けてきた意図を考えると、電話に出てしまった自分に対して無性に腹が立ち、悔しくて寝付けない。。。
このまま寝られないと翌日の仕事に差し障るので、 ユーチューブでの、 スターバックス ミュージックプレイリストの ライブ配信 をボリュームを絞って、枕元で鳴らして寝ました。(結構寝られた、、)。
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翌朝、渡り廊下を渡って離れに入り、親父がいる部屋に行こうと、廊下を歩いていると。 何故か普段は使わない部屋に明かりが灯っている。。
障子を少し開けて中を見ると、 母親の遺体が布団を掛けて寝かせてありました。
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笑われるかも知れませんが、 高く盛った布団を見て、 チョット怖かった。。さすがに部屋の中へは入れませんでした。。
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親父に話を聞くと、夕べ(夜中の3時頃)に 西脇のみどり花園様 に運んでもらったらしいです。(これを聞いて、葬儀関係の仕事の人は、 夜中でも呼び出されて行かなければならないので、本当に大変な仕事だと思いました。 大変感謝しました。)
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今日は23日だが、 24は クリスマス関連で一番忙しい時期なので、 スイーツ関係の仕事をしている次女、三女が休めない。 未だ、子供達には伝えないでおいて、日程が決まってから伝えようか。。。
25日以降になれば助かるのだが、、と親父に伝えていると、 親父が店に出て来て、「 お通夜は 26日。 告別式は27日 で式場を取ってもらえた 」 との事でした。
( 長女、三女は 休暇を取らなくても済み、次女も 一日だけ休暇を取れば済みます。)
この間、毎日、 朝の7時台の寒い時間に、 ドライアイスを取り換えに来ていただいたり、出棺前には丁寧に説明しつつ、 遺体に 白装束を着せて頂いたり、 仏壇の前を飾りに来て頂いたりと、 西脇から加東市迄は距離もあるのに、 日に何度も来ていただいて、それを数日間続けて頂き、 大変お世話になりました。
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こうして、26日、 27日で、 お通夜、 告別式 、初七日 を済ませる事が出来ました。
自分としては、 近所にも内々で葬儀を済ませば良いと思っていたのですが、
「うちの自宅に、 葬儀社様の車、 葬儀場の車が 出入りしているのを近所の人に見られているので、 他のお宅より問い合わせがあった際に、 村の組長の方が何も知らなかった。 では 済まないだろうから、一応連絡だけしろ!」
と親父が執拗に言うので、「何でやねん??」と、思ったのですが、嫁が伝えに行っていました。
(自分が判断しても、後から勝手に変えてしまわれるなら、言うと通りにしてやれやい、、てな感じになってしまいます)
「組としては 何をさせてもらったら良いんでしょうか?」
と、言いつつ、村の役の方や、組長が来られたので、何か来てもらうのを催促した様な形になってしまった。。
肝心の
「連絡だけしろ」
と、言った本人はもう寝ています。。。 まあね、、いつもこんな感じなんですよ。。
「何もしてもらわなくていいです。 家族だけで コソット しますので。。」
と、伝えておきました (今日日〔きょうび〕は家族葬ばかりになりました。 同じ組の近所の方も亡くなられていたのですが、 家族葬をされたので、 市の広報を見て初めて知った位でした)。
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自宅の隣近所で、 昔から一緒に組内で住んで居られる方々が、 香典をお持ちいただいたのですが、 家族葬で、 香典も頂かない。。って事でとお伝えしました。
「 まーっ、、香典も取ってくれてないのん?」
と言われたのですが、 相方の親父が言っている事なので、、丁重に辞退させて頂きました。
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ちょっとムカついた話。
お通夜に 葬儀場に行くのですが、親父が、
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「やすらぎ苑の遺体を運ぶ マイクロバスに 誰か付き添いで乗らなあなあかんねんけど (乗らなければならないのだか)、 ワシ は何か用事が出来た時の為に、車を運転していかなあかん(行かないといかない)から、 お前、喪主なんやから、お婆さんの遺体の車に 乗って行け!」
と、言うので、お通夜の夜に何の用事ができるのか?と思いつつ、 そういうものかと思っていたのですが、 何か腑に落ちない。。
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以前に、この葬儀場にアルバイトで掃除に行っておられたお客様宅に行き、話を聞くと、
「 えっ? 何で? 誰も乗らなくても、後を付いて走ればいいし、 何故あんたが乗るの? お爺さんが伴侶やろ?? 」
の話をきいたので、親父に伝えて、渋る親父に乗ってもらう事にしました。(別に誰も乗らなくても済むのですが、、。)
兎に角、自分の家で 葬式があったのは、自分が小学校を卒業した春以来ですので、 全く段取りが判りません。
他所の お通夜、告別式に 出るのとは 違います。。 未知の世界でした。
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「 親孝行らしい事は何も出来なかった」
と、お客様に話していると、
「 地元に帰って電気屋を継いだのが 親孝行。 しかも 同居してやってるやないか!」
と言われました。。
そう言われると解釈の仕方も変わってきます。。 毎日、日にち 親孝行をしている若い夫婦(もう若くはないのですが、、)って話になっていきます。 感謝の言葉なんて聞いた事ないですが、、。
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普段から一緒に居てくれている人には、「 当たり前だ 」 と思い、 偶に出て来てくれる人には、「 おー、、よく来てくれた 」と 感謝する。。
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今の若い人なら誰も、別居されているのですが、 当時は【殊勝に】 同居している人も少なからず居ました。
自分らもそうです。 嫁には感謝しています。。
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お客様の言葉で、チョット報われました。
長い 2日間でした。
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加東市で お通夜、告別式を行えば、近かったのですが、 西脇市のやすらぎ苑でしました。
西脇市民ではないので、料金は倍額要りましたが、 告別式後に 火葬場に移動する時間が必要なく、 その間に食事を済ませる事も出来、 便利で早めの時間に済みました。 同じ日に光明寺に 上がり、お寺で 初七日を 済ませる事も出来、16時には 自宅に帰ってから、 次女、三女を 加古川駅まで 送る事も出来た。。