お墓参り:三重ドラ 

              自分の記憶用:メモ

本年より定休日を日曜:祝日に変えたので。 ゆっくりした休日です。朝からお彼岸のお墓参りに行きました(と、言っても自宅から車で3分)。

お墓参りから帰りました。

嫁は実家の用で病院に行くとかで、  (嫁は17日の火曜日に 実家のお母さんの ペースメーカーの入れ替え手術の立ち合いをし、今日も病院に行くとの事です)

  で、 今日は晴れて 自由の身 になりました。 中国道に上がりました。

  偶の休みに 田舎から花の都会にお買い物に出る人が多いのか??

 朝から 中国道上り車線を走行していると、  トリナン、オカナン(鳥取ナンバー、岡山ナンバー車)が結構多いです。

【昨日のニュースで、「コロナウイルスを広げない為に 、兵庫からは大阪に行き来するのを 控えて欲しい」 とか報道していました。】

こちらとしても 来るなと言われれば、 大阪には下りずに、スルーです。  西名阪に入りました。

 古いけど強烈過ぎて 何時まで経っても モノクロームにならない。。。そんな記憶があるものです。

モノクロームではない記憶

卒業生には第二の故郷であり、 途中退学や転校していった者には 滅茶苦茶な気違いの学校。 ダウンタウンの浜田君は 多くは語らないが 、キツカッタとは言っても悪く言わないが、 今田耕司は悪く言う。。か。、。卒業生と中退者の立場の違いやな。。

自分達の頃は、 社場(シャバ)とは遮断され、 食べ物も持ち込み禁止だったので、 帰省日が終わって、 帰校日に トニックシャンプーの中身を出して 蜂蜜を詰め、 洗剤の大箱の中身を出して 粉ジュースと入れ替えて ニモケン(荷物検査)をすり抜けて 持ち込んだり、 古い辞書を切り抜いた中に ラジオを隠している先輩がいたり、ニクロム線を使って闇珈琲を沸かしたり、誰かが食堂から秘密裏に非公式なルートで砂糖を手に入れると、夜中に わからない様に水アメを作る。。

  勉強は しない癖にそういう 知恵は 人一倍回る ヤツの集まりかい?って感じでした。  生きていく為の知恵が働くと言えば聞こえは良いのだが。。

星雲だったか、暁だったか忘れたけど、床板を剥がして、地下室を作り、隠れ部屋で寝ていたのがバレた寮も有った。

  勿論、バレるという事は スパイなら ジ・エンド 。

朝が4時半起床、道場で心行(恐ろしい様な床磨き)、 団訓(団体訓練:心行の後に6時頃に登校しての自習時間に、グランドから 太鼓の音が聞こえてこない日は 団訓がないとかで、喜んだものでした。全力体操とかキツカッタ)、毎日6Km,10Kmの声をかけて列をなしてのマラソン、 寮に帰っての ワッショイ(気が遠くなる様なキツイ床磨き) とかが入学から卒業まで毎日有った学校なので 、どんな事態でも驚く事はなかったです。 「身体が動いた。気を抜いている。腕立て100回。」なんて当たり前だった。。

【後日、読み返したのですが、、腕立て100回ではなく、グランド100周の間違いでした。。当時、腕立て100回なんてふつうでしたからね】

夏休みの登校日に寮看が「今、わしはお前たちを、真剣を抜いた状態で見ている。少しでも 外界 のフワ付いた気分を持ち帰った奴を見つけたら、即座に切り捨てる」 とか本気で言いやがっていた。   学ラン八年組か??(魁 男塾の間違いでした

   スパイ大作戦の様な事をして生き抜いたのだが、、。

   

     今は普通に自販機がありました。古い記憶の話をするのは、今に戦時中の話をする様なものですよね。

音楽を聴きながら 一人での ドライブも 良かった。 記憶の再生なんて本人以外には興味ない事ですからね。。 高校時代を思い出し、身の引き締まる記憶でした。